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止まれテレビ 進めテレビ

みなさん、こんにちは。エグゼクティブプロデューサーの中山和記です。
ブログ担当としてこれまで6回に渡り綴ってきましたが、ここで一旦閉じて、タイトルも新たに「ある日 あの時」として再スタートします。
私の身の回りの出来事をスケッチして、随時紹介していきますので、これまで読んで下さった方、また今回初めて訪れた方も、是非ご愛読いただければと思います。
宜しくお願いします。

第1回「日本人の生き方」を考える

作家三島由紀夫が、40年前にサンケイ新聞に書いた内容が話題になっている。「果たし得ていない約束」という題の文章の中で、
「このまま行ったら、「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代りに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう・・・」と書いている。
そしてその翌年、陸上自衛隊市ヶ谷の本部に「楯の会」のリーダー達と共に、突入し、自害して果てた。
大事件となったその時のニュースは、日本中を驚愕させた。従って右翼の印象が強い。果たしてそうか。違う。彼は右翼でも左翼でもなかった。
彼は日本の未来を憂えている日本人の一人、ただそれだけだったのだ。
彼の見通しどおりの今日になっている今、もう一度彼の言わんとしたことを検証してみたいと思う。
彼は文学の表現と、自分という個人を切り離している。文学は才能。個人は生き方。と、意識的に分けていた。ただ、生へのぎりぎりの生き方が作品にはつながる。その結果、生きるためにやむにやまれず生まれるのが文学なんだ、ということを、評論家の林房雄に対し告白している。
また彼は、日本人は独自の精神哲学が必要だと、説いている。勿論そんな短的な表現はしていない。全体の作品や、文芸家たちと交わされた文書や手紙の内容からしての、わたし的な受け止め方である。三島は、文化は何から生み出されるのか、問うている。勿論、ローマ帝国、ロシア帝政、フランス王朝等の体制が生み出した歴史遺産は、まぎれもないその国の文化となっている。
しかし、彼が疑問を持ったのは、その国の精神が、国民の「知」の流れに、果たして受け継がれているのか、という点だ。世界の歴史は大半が「神」の概念にとらわれ、築かれてきた。つまり、宗教がないと、自分の生き方が判らない。文化はその「存在」との向き合いで、造られたものが多い。ところが、欧米と違って、日本にはそれがない。いかに仏舎利を築こうとも、日本人は仏教徒の国ではない。元々は天照大神の造国なのだ。
別にそのことを論点に、三島が何かを語っている訳ではない。彼が言いたいのは、そうした宗教や、創造の文化がない日本は一体どうあるべきなのか、ということを言いたいのだ。
日本人の魂としての「文化は何か」をきちんと確認し、受け継がれるべきだと主張している。つまり、日本人の普遍的な基軸を確立し、外交も、政治も、経済も、そこに立脚すべきだと。宗教は多宗教の日本。だが、認識すべき普遍とは、皇国史観にある、と彼は考えている。世界の何処にも見られない価値、とはそのことなんだよ、と。日本人は、奈良、平安のころから、江戸、明治、現代に至るまで、生活の中心に「天皇」をおいてきた。しかし、そのことが、
戦後の革新を生むのだが、誤解していけないのは、三島由紀夫は一度も、「天皇主義」を説いている訳ではない。それが日本独自の文化を築いた大きな理由だと言っているだけだ。
その史観の中に、あるべき「日本人の大義」を見出したい。経済がアイデンテテイにならないと結論づけられた今、もう一度帰るべき原点。日本人の大義とは何か。「自然」と「美しさ」の中に磨き上げられた、人間のあるべき姿と仕組み。それを高めようとする精神、それが大義なのだと。そこを歪めてはならない。それを損なおうとする不義に対して闘おうとする意志があるのか。三島由紀夫はそこを日本人に問いかけている。日本女性の控えめの「エロス」、町びと達の「素朴さ」、サムライの「心」、日本の景色への「賛美」、そうした日本人の精神を守り抜くための闘いが、政治であり、外交なのだと三島は語りかけている。
それを自分は果たし抜く。その決意と激の意味がこめられた、冒頭の「題―果たし得ていない約束」と言えよう。
そのことを、私たちは、何ととらえるべきなのか。
三島由紀夫没後40年。どこのテレビ局にも未だ「日本人の生き方」についての特番企画は浮上していない。

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