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止まれテレビ 進めテレビ

みなさん、こんにちは。エグゼクティブプロデューサーの中山和記です。
ブログ担当としてこれまで6回に渡り綴ってきましたが、ここで一旦閉じて、タイトルも新たに「ある日 あの時」として再スタートします。
私の身の回りの出来事をスケッチして、随時紹介していきますので、これまで読んで下さった方、また今回初めて訪れた方も、是非ご愛読いただければと思います。
宜しくお願いします。

第5回「ひとが目ざすこと」

ロートレックが「人は誰でも、自分自身に耐えなければならない・・」と人生を語っている。
それが、それぞれの命題なのだが、社会人のある世代に問題がある。それは、高度成長期の中で生まれ、バブルの社会で、もっとも甘い環境で成長期を経た人達。(大半そうではないのだが)共通するものは何か。まず、どこかに自分の考えが正しいと思いこんでいる。従って、自分は悪くないという論理。何か不利なことを要求されると、「あなたが、やんなさいよ」と内心開き直る。仕事がきついと、こんな会社辞めてやる、と吠えるが、決して辞めない。職場で嫌なことがあると、誰かが仕掛け人がいるに違いないと考える。
 つまり、自分にも非がある、という反省は決してない。基本的に自分が先にある。思いやり、やさしさに欠ける。自分が評価されて当然、という要求が隠されている。
 どこかで「我」だけが強くなってしまったのだろう。アメリカにはびこった個人主義的自由を求める。大人になった今、「謙虚の美徳」は負けや、損をする要因だと考える。
 とんでもない思い違いだ。人生は他人との比較ではない。自分の役割を悟り、自分を知り、自分らしくいるかどうか、それは「心」の価値づけに問いかける問題であろう。
 よしんば、虐げられたとしても、先に虐げた側の「こころ」の裁断に委ねるしかないのだ。それを責めた時に、またそれが悪の連鎖をもたらす。終わりがない。
 自分を平穏にもたらし、ひとのせいにしない限り必ず良いことがある。それがささやか、であったとしても・・。では、許せないこと、はどうするのか?放っぽっておけば良い。天罰が下る。何らかの・・。(私は宗教家ではないが)
 ともかくも、苦労すること。苦労が少なすぎる。多くの人はみな、水面下で、必死に水をかいている。そうそう表には見えないものだ。私も人並みに苦労してきた。早く両親を亡くし、10代の時から学費を稼ぎ、生活をしてきた。こづかれ、殴られ、地を這って、生きようとした。身体が壊れ、駅の階段を登り切るのに、10分以上もかかって死ぬ思いだった。人生はつらい。苦しい。それでも、自分から求めないことだ。「板子1枚下は地獄」。渦を超え、荒波を相手に漁をする船頭が口にする言葉だ。ある生き様の表現に使われる。
人間は、見えない糸で操られている。良くも、悪くも・・。そこに委ねるしかない。やがては死ぬ。人間の一生は、はかない。儚いからこそ、本当の意味で自分を自分らしく生きる。
 社会も、そうした人間の集団だから、少しは気遣いも大事である。何を言いたい・・?「それでいいのか-?それでいいのだ-。ぼんぼん、ばかぼん、ばか、ぼんぼん-」。
のどかな歌声で、安らぎを得る。所詮、人間ってそんなもんよ、と聞こえる。
も少しは、互いにやさしく生きようよ!それだけである。

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